2006年度政治学基礎ゼミまとめメモ
グローバル化をめぐる論点整理
2007/1/29
田中 拓道
※以下はゼミのまとめとして用意した草稿(未定稿)です。一切の引用を禁じます。
はじめに
グローバル化とは、とりわけ冷戦終結後に世界大で国境を越えた資本(カネ)・商品(モノ)・労働力(ヒト)の移動が増大し、相互依存関係が高まっている状態を指す。それ自体は純粋な経済現象と言えるにもかかわらず、近年まで、グローバル化をめぐっては激しい議論が戦わされてきた。最も先鋭なグローバル化批判は、毎年世界各地で十万人近い人を集めて開かれる「世界社会フォーラム(World Social Forum)」に見られる。そこでは、南北格差、多国籍企業・巨大金融機関の支配、国家保護の掘り崩し、失業や労働条件の悪化、環境問題、伝染病の拡散、移民・女性の従属、宗教的排除などが、現在のグローバル化の帰結として採り上げられる (1)。イギリスの政治哲学者ジョン・グレイによれば、現在のグローバル化を支える市場主義は、19世紀にヨーロッパで生まれて破綻した自由放任思想の反復にすぎず、世界秩序を脅かす危険なイデオロギーである (2)。他方、先進諸国の経済学者の多くは、現在の市場開放と経済的相互依存の高まりによって、世界全体は繁栄へと向かっており、諸国家間の格差は解消されていくはずだと論じる (3)。
以下では、現在の錯綜した議論を整理し、問題点を明らかにするために、(1)グローバル化に至る歴史を、先進国と発展途上国のそれぞれの側から振り返り、(2)今日のグローバル化を「ガヴァナンスの再構築」という観点から検討しているギルピン、スティグリッツの議論を対比しながら考察する。
1 近代世界システムからグローバリゼーションへ
まず、グローバル化が南北格差を拡大させたかどうかを評価するためには、長いタイムスパンの中に現状を位置づけてみる必要がある。近代以降の世界史を最も包括的に説明する理論は、ウォーラーステインの「世界システム論」によって提供された (4)。彼によれば、16世紀に至るまで、世界には複数の独立した政治―経済システムが並存していた。それらは16世紀以降、西欧に発する資本主義システムによって覆いつくされ、およそ19世紀以降単一の「世界システム」を形成することになった。
近代世界システムは、経済的には単一の資本主義でありながら、政治的には多数の国民国家の並存から成る。ウォーラーステインは、世界システムの形成とともに、諸国家は三つの階層に編成されていくという。
(1)中核国家:西欧とアメリカ、後に日本。強力な中央集権国家と高度な産業化。
(2)半周辺国:東南欧、ロシアなど。上からの近代化と国家・市民社会の分裂、単純工場労働。
(3)周辺国:アジア、ラテンアメリカ、アフリカ、中東など。国家の集権性未成熟、原材料供給。
近代以降先進国(中核諸国)は周辺国であるラテン・アメリカ、アジア、アフリカなどを植民地化し、それらを原材料供給基地へと編成することで、急速な産業化を遂げた。現在の南北格差は、こうした近代世界システムの形成過程に起源を持つのであり、必ずしも「グローバル化」が格差を生み出したり拡大させたと断定することはできない。この点では、ギルピンが「歴史上のあらゆる国際システムは支配経済と従属経済から構成される階層的なものであった」(G 292)と述べていることは間違いではない。
19世紀から現代のグローバル化に至る歴史は、およそ以下のように要約できる。資本主義の隆盛期は、第一次大戦前の1870-1914年、第二次大戦後の1945-1975年、1990年以降の三つの時期に見られる。
時期 覇権国家 国際金融 貿易 周辺国
1870-1914年 大英帝国 金本位制 自由貿易 植民地化
1945-75年 アメリカ 基軸通貨 自由貿易 第三世界主義
ドル 〜輸入代替化
1990年〜 米欧日協調 ?(IMF) 地域ブロック 輸出主導型
FTA
(1)1870-1914年
大英帝国の覇権の下で、中核国間(欧米、後に日本)には現在に匹敵する国際的相互依存関係が形成された。金本位制によって国際為替が安定し、自由貿易体制が確立した。
一方中核国以外の国は、植民地獲獲得競争に曝され、多くの国が中核国の支配の下に置かれた。日本は半周辺にありながら植民地化を逃れた数少ない例外であった。
(2)1945-1975年
1929年の世界恐慌以降、中核諸国は金本位制から離脱し、域外関税を設けて地域的経済ブロックを作っていく(イギリスの連邦ブロック、フランスの金ブロック、アメリカのドル圏、ドイツの中央マルク圏、日本の東亜共同体)。第一次世界大戦による大英帝国の覇権の衰退は、国際的協調の枠組みの喪失に拍車をかけた。これらのブロック間の対立は、やがて独日伊の三国同盟を中心とする枢軸国と、連合国との間に第二次世界大戦を引き起こす。
第二次世界大戦集結以降、アメリカの覇権が確立することによって、世界経済は再び繁栄の時期に入る。戦後の国際政治経済体制は、以下の三点によって特徴づけられる。@アメリカの覇権とドルを基軸通貨とする固定為替相場制(IMFによる補完)。A国際自由貿易の推進(GATTの取決め)。B国際資本取引の制限と各国の金融政策の自律性。
一方、この時期に独立を果たす半周辺・周辺国(発展途上国)は、先進諸国との対立と協調の間を揺れ動く。大きく見れば、政治的な独立にもかかわらず、これらの国が先進諸国の経済的発展の恩恵を蒙ったとは言い難い。
@第三世界主義
第二次大戦後アジア・アフリカ諸国が最初に訴えたのは、東西冷戦のどちらの陣営にも属さず、是々非々の立場を採る「第三世界主義」であった。アメリカやソ連は、各々の陣営に旧植民地国を引き入れるための経済的な援助を約束した。国連は1961年に「国連開発の10年」を宣言した。しかしこれらは発展途上国の持続的な経済発展にはつながらなかった。1960年代に冷戦構造が安定化し「デタント」が生じるにつれて、第三世界主義は力を失っていく。
A従属理論
1960年代末から発展途上国で盛んになったのは、先進諸国が経済的に発展途上国を支配し搾取している世界資本主義の「構造」への批判であった。マルクス主義を転用した「従属理論」がサミール・アミーンなどによって唱えられた (5)。発展途上国の多くは、貿易や資本の自由を規制し、先進国企業の支配に代わる自給自足経済の構築と、発展途上国同士の協力(「輸入代替化戦略」)を推進した。しかし、こうした戦略も発展途上国の発展にはつながらなかった。
(3)1990年〜現代
1970年代以降、アメリカの国際的覇権が衰退することで、再び国際的協調体制(ブレトンウッズ体制)は崩れていく。固定相場制から変動相場制へと以降し、ドイツや日本が基軸通貨であるドルの下支えを試みるが、徐々に各国間の利害対立が先鋭化していく。その一方で、1973年、1979-80年の石油価格高騰によって中東諸国が獲得した膨大なオイルマネーがヨーロッパ市場に流れ込むことで、1980年代から国際金融取引が急速に発達し、「グローバル化」がもたらされる。現在の世界は、経済的(金融、貿易)な相互依存の高まりと、政治的な統合の不在のズレを抱え込み、不安定な基盤の上に置かれている。
発展途上国の一部は、1980年代から90年代にかけて、「輸入代替化戦略」を放棄し、市場開放を進めるとともに、国内産業を育成して輸出を促進させる「輸出主導戦略」へと転換する。アジアを中心に一部の発展途上国は急速な発展を遂げた。
以上の歴史を振り返ると、少なくとも次の二点が明らかとなる。第一に、発展途上国と先進諸国との関係について、グローバル化が両者の格差を生み出したとは言えないものの、これまでのところ両者の対立を調停する枠組みは見出せていないことである。両者の関係は、近代世界システムの形成当初から、非対称的な支配―従属関係のままであった。第二次大戦後は植民地国が独立を果たしたものの、経済的には相変わらず従属的地位に留まった。1980年代以降のグローバル化は、発展途上国にとって、従来の支配―従属関係を脱して「発展」を達成する機会をもたらしている一方で、多国籍企業や先進国の支配を強化する可能性ももたらしている。今日先進国と発展途上国との利害対立は、ますます可視的なものになっている。
第二に、19世紀末に大英帝国の覇権が衰退することで、第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦がもたらされたように、1980年以降アメリカの国際的覇権が衰退することで、世界経済は保護主義・ブロック化の傾向を強め、収縮の危険にさらされている。
こうして現在の世界は、先進諸国の間、先進諸国と発展途上国の間に様々な利害対立が顕在化している状況と捉えられる。それでは今後、どのような形で新たな秩序を構築していけばよいのか。以下では、中期的な展望を行なっている二人の代表的な国際政治経済学者、ギルピンとスティグリッツ(元世界銀行チーフエコノミスト、2001年ノーベル経済学賞)の議論を対比することで、その方向性を考えてみたい。
2 現代の国際政治経済体制
ギルピンもスティグリッツも、グローバル化は貧しい人に発展の機会を提供し、世界をより平等化していく可能性を有すると指摘する (6)。しかし、現在のグローバル化が、先進諸国に繁栄の機会を提供する一方、発展途上国の多くをそこから除外することになっている、という認識でも一致する(G 19)。スティグリッツによれば、「1990-2002年のあいだに南アジア、アメリカ、EUを除く全地域で失業率が上昇」した。「不平等が拡大傾向にある国々に住む人の割合は59%。不平等が縮小傾向の国々に住む人はわずか5%にとどまった」(S 42)。こうした現実は、グローバル化の統御(ガヴァナンス)がうまく機能していないことを示している。ギルピン、スティグリッツはともに、グローバルなガヴァナンスの再構築が必要であると主張する。
しかしそこから先、両者の議論は分岐する。まずその背景に言及した上で、三つの論点について検討しよう。両者の分岐の背景は、将来の世界を展望するにあたってどの価値を重視するのか、という点にある。ギルピンは明示的に語っていないものの、その著書全体に示されているのは、「自由」と「繁栄」の重視である(G 1, 346)。彼によれば、グローバル化は世界全体の繁栄をもたらす可能性を有するものの、現在のグローバル化は、経済的統合に対応する政治的統合が存在しないことによって、世界秩序の不安定をもたらしている。国際協調、とりわけ先進諸国間の協調が、問題解決の鍵となる。一方スティグリッツにとって、最も重視するべき価値は「公正さ」である(S 397-399)。「公正」な世界を実現するためには、民主的な意思決定を国内においても国際機関においても貫徹しなければならない。彼によれば、たとえ「自由」によって「繁栄」がもたらされたとしても、富の格差が拡大し、一部の人間が繁栄から取り残されるならば、それは「公正」な世界ではない。
こうした価値観の相違から、両者の間では、(1)貿易自由化、(2)金融自由化、(3)グローバルなガヴァナンスのそれぞれについて、異なる見解が語られる。
(1)貿易の自由化
ギルピンによれば、グローバル化を脅かす最大の要因は各国の保護主義である。1970年代まで、比較優位論に基づく自由貿易が広く支持されていたのにたいし、近年では政府が労使関係や需要調整などに介入し、他国に対する「競争優位」をもたらす政策が支持されてきている。さらに自動車・航空・テクノロジーなどの基幹産業については、政府が研究支援・開発援助を行なうべきであるという「戦略的貿易論」が広く主張されるようになった(G 91)。WTOでは、サービス・知的所有権の保護が推進されている。しかし、こうした保護主義的政策には次のような問題点がある。第一に、先進国にとって優位となりやすく、とりわけWTOに加盟していない最貧国に打撃となること(スティグリッツは先進国の知的財産権の強化が、医薬品などの価格高騰を招き、途上国の病人を見殺しにしてきた、と指摘している)。第二に、保護すべき産業かどうかの判断基準が不明確であり、非効率に陥りやすいこと。第三に、その結果特定の利益集団を利し腐敗を招きやすいこと(G 86)。ギルピンは、セーフティ・ネットを整備し、自由貿易による敗者を救済する必要性を認めるものの(G 86)、戦略的貿易理論には懐疑的である。たとえ発展途上国であっても、市場開放の利益はコストを上回るはずである、という。
一方スティグリッツの提案は、より明瞭かつラディカルである。まず彼は、先進国と発展途上国を区別する。先進国は、貧困国にたいして無条件で市場を開放するべきである。中所得国は、低所得国に市場を開放し、高所得国にたいしては一定の関税をかけて「幼稚産業が壊滅させられるのを防ぐ」べきである(S 143)。最後に最貧国は、「既存の国際的大企業と対抗できるようになるまで、生まれたばかりの自国産業を保護していく必要がある」(S 127)。すなわち、先進国が市場開放の義務を負う一方で、発展途上国には保護貿易を許容するべきである、という。
こうした立場は、現在の世界とちょうど正反対である。ギルピンも指摘していたように、現在の先進諸国は、発展途上国にたいして市場開放を強制する一方、自国の農業・テクノロジー・知的財産権などについては、国際機関を通じた保護を推進している。スティグリッツは、のちに述べるように、国際機関(世銀、IMF、WTO)のガヴァナンスの失敗によって、現在の貿易体制が先進国の利益集団に乗っ取られ、発展途上国にとって「不公正」なものになっていると批判する。
先進国と発展途上国との区別に加え、政府と市場との関係一般についても、スティグリッツの立場はギルピンと異なる。彼は次のように言う。
「グローバル化をめぐる議論の中でも、貿易の自由化は最も意見が分かれる部分だ。たとえ効率性の向上と成長の拡大がもたらされるとしても、賃金の低下、失業率の上昇、国家主権の喪失など、負担をせまられるコストのほうが重いという見かたが、現在では主流となっている。」(S 115)
比較優位論など自由主義の想定が当てはまるのは、当事者の間で市場にかんする情報が完全に共有されている場合のみである。しかし現実の世界では、「情報の非対称性」が存在する。大企業と消費者、富裕層と貧困層、高学歴層と低学歴層との間で、同じ情報は共有されていない。市場を完全に自由に任せると、これらが不公正な競争を生み出してしまう。スティグリッツによれば、現実の世界で政府の果たすべき役割は大きい。たとえば教育、保健衛生、セーフティ・ネット、金融規制、環境規制などにおいて、政府は積極的役割を担わなければならない(S 99)。とりわけ発展途上国の場合、政府が社会環境を整備し、労働者を教育し、国内産業の競争力を育成する必要がある(関税にかんしては、「戦略的貿易理論」ではなく、先進国から輸入される製品への一律の関税を主張する)。
(2)金融の自由化
戦後のブレトンウッズ体制の下では、自由貿易が推進される一方で、資本の移動(金融取引)には一定の規制がかけられてきた。1980年以降のグローバル化とは、主に金融の自由化によって引き起こされたものと言える。今日では、世界の一日のモノやサービスの輸出量が250億ドルであるのにたいし、為替取引量は1.5兆ドルにも達するという(G 19)。
資本移動の自由化をめぐる議論は、1997年のアジア通貨危機を契機として活発になされるようになった。従来多くの経済学者は、自由な市場こそが世界の資源の効率的活用につながると考えてきた。アジア諸国の発展も、グローバル化と資本の自由化の恩恵だとされてきた。ところが1997年のアジア通貨危機は、こうした考えに広い懐疑をもたらした。
ギルピンもスティグリッツも、アジア通貨危機の主たる原因は、アメリカやIMFの圧力の下で、アジア諸国が1990年代に急激な資本の自由化を行ったことにあると捉えている。その結果、これらの国への過剰投資と不況下での資金引き上げが行われ、国内経済は破綻へと追い込まれた。ギルピンによれば、現在の「国際金融システムには何らかの深刻な誤りがある」(G 153)。ただし現在のところ、「資本移動は規制されるべきか否かという点については、何の合意もできていない」。両者の間にも、金融の自由化をどの程度許容するべきかをめぐって意見の相違がある。
ギルピンにとって、海外からの発展途上国への投資は、たとえ多国籍企業の支配、経済の混乱というリスクが存在するとしても、経済発展にとって望ましいものである(G 293)。これまで東アジアの経済成長は、政府・金融機関・産業の間に密接な人的つながりがあり、特定産業への優先的な資金配分がなされることで達成された面がある。しかしこうした制度は、不透明な資金配分や腐敗ももたらしてきた(G 152)。今後は、途上国の国内制度の透明性や開放性を向上させ、一層海外の資金を受け入れるような改革が必要である。一方、海外からの投資にかんしては、長期的投資と短期的な投機を区別し、後者に一定の規制を加えなければならない。さらに、アジア通貨危機においては経済不況のさなかにIMFが緊縮財政を指導したために、危機が深刻化したという面があった。発展途上国の金融危機の際にシステムを安定化させる資金を提供するような「最後の貸し手」を国際的に整備する必要がある(G 324-325)。以上の改革のためには、IMFの強化などが考えれるが、市場主義を信奉するアメリカや各国ナショナリストによる反対によって、展望は見えていない。
スティグリッツは、現在の国際金融システムをより根源的に批判する。彼によれば、現在の国際金融システムを規定しているのはIMF、世界銀行、アメリカ財務省によって形成された「ワシントン・コンセンサス」である(S 54)。これらの機関は貿易の自由化と資本の自由化を世界に広めようとしているが、その目的は欧米の金融機関・投資家の利益を増大させることにある。たとえば、1980年以降発展途上国に過剰な資金の貸付を行い、これらが不況に陥ると資金を急激に引き上げたのは、「銀行の業務は金儲けであり、『銀行は金を必要としない人にのみ貸し付ける』」という原則を実行したものにすぎなかった(S 347)。危機に陥ったアジア諸国へのIMFによる緊急貸付と緊縮財政指導は、これらの国の救済のためではなく、「西側の銀行のための救済措置」として行なわれたものだった(S 322)。1980年代のラテン・アメリカ債務危機から1997年アジア通貨危機、1998年ロシアのルーブル危機まで、先進国の金融機関・投資家の利益のために、発展途上国の経済を犠牲にすることが繰り返されている。
このように、スティグリッツは現在の資本自由化の動向にきわめて批判的である。彼の対案は二つのレベルからなされている。第一は、政府が資本移動にしっかりとした規制を加えることである。アジア諸国の発展の要因は、貯蓄率が高く、国外からの資本に頼らずとも、国内インフラの整備、教育などに投資できたことだった(S 76)。マレーシア、中国、インドなど多くの国は海外からの投資に様々な規制をかけることで安定した経済成長を続けてきた。一方ラテンアメリカ、ロシア、東欧などは、早くから資本の自由化や民営化を押し進め、その結果多くが経済破綻を経験した(S 83以下)。総合的に見れば、海外からの資金受け入れによる利益よりも、経済破綻によって失った利益のほうが大きかった。1997年の東アジア通貨危機も、90年代に入り米国やIMFの圧力のもとで、アジアが資本市場の開放を進めた結果であった。
第二に、先進国の金融機関や国際機関による過剰な貸付にたいして、それが適切であるかどうかを判定する国際機関を作ることである。具体的には、現在の債務を帳消しにすること、独裁政権や軍事政権への融資を監視すること(S 339)、適切な貸し付けであるかどうかを判定する国際債権裁判所を創設すること(S 340)、発展途上国の「破産」を認定する国際破産法を制定すること(S 350)などを提案している。ただしギルピンと同様、こうした改革を実現するための具体的な展望は示されていない。
(3)グローバルなガヴァナンスの再構築
ギルピンにとってもスティグリッツにとっても、グローバル経済を放置するだけではうまく機能しない。それを適切に運営するための「ガヴァナンス」が重要である。今後どのようなガヴァナンスを構築していくべきかをめぐって、両者は異なる展望を語る。
ギルピンによれば、これまで資本主義の隆盛期にその繁栄を支えたのは、大英帝国、アメリカという覇権国家の存在であった。今日の問題は、アメリカの覇権が衰退し、アメリカ、EU、日本・アジアの間の利害対立が顕在化していることにある。これらの国や地域の間では、経済システム、福祉のあり方に大きな違いがあり、一つに収斂する見通しはない。したがって、当面はアメリカがリーダーシップを振るい、他の国との協調を維持しつつ様々な問題に対応していくことが求められる(G 340)。もう一つの問題は、WTOの機能不全にみられるように、発展途上国が国際機関の決定に過剰に介入するために合意ができず、先進国が国際機関とは別のルート(二国間交渉、地域ブロック)に訴えて国際経済をコントロールしようとしていることである(G 103)。発展途上国の意見を抑え、先進国の指導を保障するような国際機関のガヴァナンス改革が必要である。
一方スティグリッツによれば、現在の最大の問題は国際機関の意思決定過程が不透明であり、それが先進国の利益団体(金融、医療、情報サービス、農業など)によって左右され、発展途上国の意見が反映されていないことにある。ひと言で言えば、「民主性の欠如」である(S 56)。IMFや世界銀行などのトップは大国の意向で決定され、国際貿易交渉は一部のテクノクラートに委ねられている。現在の制度は、長い目で見るとグローバル化への支持を減少させ、国際的な協調の可能性を狭めている。したがって、国際機関の意思決定を民主化し、開かれたものにする必要がある。
おわりに
以上のように見れば、現段階でグローバル化にかんして何らかの意見の集約が図られるにはほど遠い。貿易の自由化をめぐっても、金融の自由化をめぐっても、グローバルなガヴァナンスをめぐっても、まったく異なる意見が対立している。しかし大きく見れば、どの立場からグローバル化を捉えるかによって、その見方が規定されると言える。先進諸国の繁栄とリーダーシップを重視し、そこに発展途上国が従っていくという立場を採るならば、貿易の自由化を拡大させ、資本市場自由化を基礎としながらも一定のルールをはめる国際機関を設立し、主にアメリカを中心とした先進諸国がそのガヴァナンスを担う、という将来像が選択される。他方、発展途上国が先進国と同じ繁栄への権利を保障されるべきであるという立場を採るならば、貿易の自由化義務は先進国の側に課せられ、発展途上国の資本規制や産業保護が許容され、国際機関の「民主的」なガヴァナンスへの改革が要請される。ギルピンの立場は、先進国の政府当局者や知識人にとって主に望ましいと言える。スティグリッツの立場は先進国の左派知識人、グローバル社会運動の担い手、発展途上国の人びとにとって望ましい立場であろう。そしてこれらの背後には、「自由」と「民主主義」のどちらを重視するのかという価値観の対立が潜在している。
脚注
(1) 『世界社会フォーラム 帝国への挑戦』作品社、2005年、114頁。
(2) ジョン・グレイ『グローバリズムという妄想』日本経済新聞社、1999年。
(3) ジャグディシュ・バグワティ『グローバリゼーションを擁護する』日本経済新聞社、2005年。
(4) I. ウォーラーステイン(川北稔訳)『近代世界システム―農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立』全2巻、岩波書店、1981年;ウォーラーステイン(川北稔訳)『近代世界システム 1600〜1750―重商主義と「ヨーロッパ世界経済」の凝集』名古屋大学出版会、1993年;ウォーラーステイン(川北稔訳)『近代世界システム 1730〜1840s―大西洋革命の時代』名古屋大学出版会、1997年。
(5) サミール・アミーン(北沢正雄訳)『帝国主義と不均等発展』三一書房、1981年。ピーター・リムケコ、ブルース・マクファーレン編(若森章孝、岡田光正訳)『周辺資本主義論争―従属論以後』拓殖書房、1987年。
(6) 以下の引用は、ロバート・ギルピン(古城桂子訳)『グローバル資本主義―危機か繁栄か』東洋経済新報社、2001年からの引用は(G 頁数)、ジョゼフ・スティグリッツ(松井浩一訳)『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』徳間書店、2006年からの引用は(S 頁数)として示す。